今日7月7日の大阪は時折雨がぱらつく、あいにくの天候です。夜も同様のようですが、雲の間から星空が少しだけでものぞいてくれたら・・・と思っています。なにしろ今日は七夕ですからね。年に一度の織女と牽牛のデートの日です♪せっかくなので子どもの頃に聞いたはずの七夕伝説をちょっとネットで調べてみました。
七夕伝説
天の川の東に住む天帝の娘で、機織りに精を出していた織女(しゅくじょ)と天の川の西に住むでいる働き者の牽牛(けんぎゅう)の物語です。結婚して牽牛と生活をしていた機織りをしなくなった織女が天帝の怒りに触れ、元通り天の川の東西に離れ離れにされてしまいます。でも、一生懸命に機織りをするなら、一年に一度、7月7日の夜に牽牛と会うことが許されたのでした。こうして、牽牛と織女は互いの仕事に励みながら、指折り数えて7月7日の夜を待つようになったのです。
ところが、7月7日に雨が降ると、天の川の水かさが増して、織女は向こう岸に渡ることができなくなってしまいます。だから7月7日には雨が降らないようにと願うわけですね。それでも7月7日に雨が降れば...そんな愛する2人を見かねて、何処からともなく、かささぎの群が飛んできて、天の川を渡す橋となって、織女を牽牛のもとへ渡す手助けをしてくれるのだそうです。
この伝説は中国から奈良時代に伝えられたといわれています。
かささぎがやってきて天の川を渡してくれるのですが、それにしても7月7日なんて梅雨時期にしか会えないのでしょうね。これこそ意地悪ではないか・・・なんて思ってましたが、実はこれは旧暦の7月7日つまり2006年の場合は7月31日に当たるそうです。これなら梅雨明けして晴れやすいですよね。
なぜ梅雨どきに七夕祭り?
- 天保暦から太陽暦に
おり姫星(織女)とひこ星(牽牛)が1年に1度会うことができる七夕ですが、7月7日といえば日本列島のほとんどの地域は梅雨のまっただ中。例年、この時期に2つの星を見ることはなかなか難しいのです。
ではなぜ、天候が悪いこの時期に「星のお祭り」をするのでしょうか?
じつはこの問題は明治の改暦が原因なのです。もともとの七夕は天保暦(いわゆる「旧暦」)の七月七日に祝っていたものです。ところが、明治時代に天保暦から太陽暦(新暦)に変更されたことによって、七夕も約1か月早い時期に祝う行事となってしまいました。
現在では、「新暦の7月7日」「いわゆる旧暦の七月七日」「月遅れ(新暦の8月7日)」の3通りの日付で行われています。
天保暦:明治時代に行われた改暦の直前に使われていた暦。現在私たちが使用している暦はグレゴリオ暦(新暦/太陽暦)です。
- 新暦七夕と旧暦七夕の星空
現在ではごくあたりまえのようになった太陽暦ですが、太陽暦での7月7日はまだ大部分の地域で梅雨は明けていなく、また、たとえ晴れていたとしても、日の暮れた1時間後ぐらいでは、織り姫星と彦星はまだ東の空の低いところにあります。もし、2つの星がもっとも高く昇る時間まで待っているとすると、夜半過ぎになってしまうのです。
ちなみに天保暦でいう七月七日は、新暦では8月上旬ごろにあたります。今年(2006年)はちょっと早く、7月31日になりますが、それでも梅雨も明けて織り姫星も彦星も高く昇るようになっています。
ちなみに、単純に「旧暦の七月七日」というと、今年はもう一回、8月30日にもやってきます。ちょっと不思議に聞こえるかもしれませんが、旧暦では「うるう日」ならぬ「うるう月」が存在して、旧暦2006年には七月の後に「うるう七月」が入る
ためこんな事が起きるのです。8月30日ともなれば、織り姫星と彦星は、日が暮れると同時に頭の上で輝いています。そんな中、今年だけは織女と牽牛も二回会っている…かどうかはわかりませんが。
いわゆる「旧暦」の七夕:
「旧暦」は現在では公に使われていないので、国立天文台では旧暦の計算をしていません。そのため、「伝統的七夕」という言葉を使い、旧暦とは別の方法で求めています。また、うるう月は計算に含めていないので、今年の「伝統的七夕」はただ一度、7月31日です。
今年は旧暦のうるう月のため「旧暦の七月七日」が7月31日ともう一回、8月30日にもやってくるそうです。今年だけは織女と牽牛も二回会えるのですね。
いずれにしても今日7月7日の夜、少しでも晴れ間が出て
愛する二人が逢えますように・・・
そして織姫(ベガ)と牽牛(アルタイル)に、みなさんは何を願いますか?
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